スターリングエンジンについては、今も活発に研究され、書籍も入門書から専門的なものまで多数出版されています。 それだけに専門の方には話しにくいテーマであったと見えて、今回の技官研修の講師の人選は難渋した挙句、畑違いのぼくのところに回ってきました。 実際スターリングエンジンについて調べてみて、なるほど専門家が素人向けに話をするのを敬遠するはずだと納得しました。 作動気体の漏れ(リーク)の問題一つでも、言い出すときりがないくらい問題があるのです。 少しでも熱機関に思い入れのある人なら語らずに済ませないし、そうなると1年がかりの話になるでしょう。 ぼくはそうした思い入れのない分だけ気楽に、スターリングエンジンについての話題をズバズバ切り捨てて行くことにしました。 ここで紹介したお話は、技官の皆さんに、技術者のまっとうなまなざし(「熱が落ちてくる」)、とでもいうべきものが、鋭く事態の本質を射抜くことを中心にして構成したものです。 同時に、ぼくなりの熱力学というものへの思いも少しは込めたつもりです。
「水力学(流体力学)」(「水の動力学」) hydrodynamics ということばがあるように、「熱力学」 thermodynamics (字義通りには「熱の動力学」)というのは「熱」が動因となって引き起こす運動を学問する分野、あるいは「熱」が力を受けて運動するさま(があるならば)を学問する分野に相当します。 このことを思うと、今日の理学部の化学で教えられる熱力学は、率直に言って「熱の動力学」の名に恥じるものだといってもよいでしょう。 「熱力学」の名前で教えられることはほとんどが、温度・熱の釣り合いを扱う「熱の静力学」 thermostatics、あるいはエネルギー変換などを扱う「熱のエネルギー学」 thermoenergetics と呼ばれてもやむをえないものです。 教科書には申し訳程度にカルノーサイクルが登場するぐらいで、カルノーサイクルが抹殺された教科書もあるようです。 このようなアプローチは、かってギブズが引いた路線といえるでしょう。 教科書のレベルではキャレンの「熱力学」あたりが先鞭をつけたといっていいかもしれません。 そして今となっては、なぜクラペイロンが熱力学の成立以前に、クラペイロン・クラウジウスの式を導出できたのか、想像することすらできなくなっています。
ぼくは現在の教え方が間違っているとは思いませんし、好ましくさえ感じています。 というのは、「熱」そのものと向き合うようになると、とたんにいろんな厄介な問題が湧き出してくるからです。 たとえば「熱伝導」は、ぼくが避けたい話題の一つです。 「熱は状態量ではない」といっておいて、それが伝導してくるとはどういうことなのか、ぼくにはうまい説明が思いつきません。
けれども今の「熱の静力学」 thermostatics は、あまりに整った姿を持っているがために、人それぞれの感性に応えてくれるもの、何ものかを生み出さんとする“生気”に欠けているように見えます。 おそらくそのために、ここ何十年も「これからは非平衡の熱力学だ」という掛け声が、(時に空しく)響き渡ってきたのでしょう。 ぼくは手垢にまみれた「非平衡の熱力学」といったものにあまり魅力を感じません。 けれども熱力学というものに、もっと違う、手ごたえの確かな何ものかが潜んでいる予感はあります。 今回の話を用意するに当たって、以前眺めた熱力学に関するいろんな本を改めて読む機会を得ました。 そして「手ごたえの確かな何ものか」の一端を、ここで紹介したような今日の正統派の科学からはみ出したアプローチの中にも見ることができたように思っています。
最後にぼくのような熱機関の門外漢に、こうした問題を考える機会を与えてくださった、当研究室の技官の網田さん に謝意を表するものです。 また出席者の皆さんには、スターリングエンジンとはおよそ畑違いのぼくの拙い話を、辛抱強く聞いていただき、どうもありがとうございました。