本課題では、種々の有機化合物溶液の吸収・発光スペクトルの測定を行う。 試料として蛍光物質として著名なフルオレセイン(fluorescein。法定色素で黄色201号とも呼ばれ、 入浴剤等にも使用される)とアントラセンとともに、 身近な生体関連物質としてクロロフィルやリボフラビンを取り上げる。
PC等に付いているUSBポートは信号の通信に使用されるが、携帯電話の充電に使用されるように、 電源としても利用できる(電圧は5 VでUSB 2.0では500 mAまで給電できることになっている)。 今回の実験では携帯電話の充電器を利用して、LED等の発光を行わせる。 PC のUSBポートを使うこともできるが、過大な電流が流れてポートが故障する恐れがあるので薦めない。
フルオレセインはおよそpH 6~7で電離して2価の陰イオンになり、強い蛍光を示すようになる。 ここでは主に炭酸塩緩衝液(pH 10)中でのフルオレセインの光吸収・蛍光を測定し、 蛍光の励起波長依存性を調べ、標準スペクトルと比較することで装置特性を調べる。
アントラセンは吸収・発光スペクトルに明瞭な振動構造を示す。 このアントラセンのスペクトルを解析し、ストークスシフトや吸収・発光スペクトルの振動構造についての理解を深める。
* 1 mg/mL程度の溶液を調製し、その0.1 mL程度を希釈して5 mL程度にすればよい。 溶液の汚染に十分注意すること。
![]() |
図5.アントラセンの吸収スペクトルと蛍光スペクトル(370 nm励起)。 |
光合成には種々の色素が関与するが、 中でもクロロフィル(油溶性)とフィコシアニン(水溶性タンパク質)はそのカギとなる色素であるといってよい。 ここでは市販のシアノバクテリアの乾燥粉末の酢酸エチルによる抽出物とpH 7の緩衝液による抽出物について、 それぞれの光吸収・発光挙動を調べる。 酢酸エチル抽出液にはクロロフィルとカロチン等、 水抽出液にはフィコシアニン等が含まれていると期待される。
![]() |
![]() |
図6. スピルリナの水抽出液(左)と酢酸エチル抽出液(右)の光吸収と蛍光スペクトル。 |
水溶性ビタミンのリボフラビン(ビラミンB2)はアルカリ性で容易に光分解して油溶性のルミフラビンになる。 このことを利用してリボフラビンを定量する手法が食品分析で使用されている。 ここでは公定法を簡略化して、栄養ドリンク中のリボフラビンの定性試験を行う。
実験にあたって、 まず重要な光源や光学セルの選択、 試料溶液の調製について簡単に紹介しておきましょう。
励起光源にはもっぱら LED を用います。 電源には手軽な USB からの給電を使用することにしています。 PC の USB ポートを使ってもらってもよいのですが、 過大な電流を流して USB ポートをパンクさせる恐れがあるので、 用意してある携帯電話の充電器を使うことをお薦めしています (何せ素人細工なもので、実は実験中にショートして、 ぼくの PC の USB ポートが1つパンクしたことがあるのです・・・)。
LED では概ね、 1個の電子が LED にかけた電圧 \(V\) で得たエネルギーを、 1個の光量子\(h\nu\) に変換すると考えてよく、 \(\lambda \approx hc/eV\) という関係を仮定できます。 ちなみに「エネルギー換算表」を見てみると、eV と 波数 cm-1 の変換で 1 eV = 8065.5 cm-1 となっていますが、 これは 1 V で電子が得たエネルギーが、 1240 nm の光量子のエネルギーに相当するということです。
![]() |
![]() |
![]() |
図 8a. LED を光らせているところ。 黒い熱収縮チューブを巻いてあるところには抵抗が入っていて、 光らせていると熱くなる。 | 図 8b. 接続ケーブルに熱収縮チューブを嵌める前。 100 Ω 程度の抵抗が組み込んであり、 USB に接続した時、電流値を 50 mA 以下に押さえる。 | 図 8c. 高輝度の青色 LED も用意してある。 高輝度の LED では、 ケーブルの抵抗値を下げてあり、 発熱も大きい。 |
A実験の光吸収の実験では、 水溶液系については PMMA(ポリメタクリル酸メチル樹脂。単にアクリル樹脂とも呼ばれる)製のもの (あるいはポリスチレン(PS)製のもの)、 酢酸エチル溶液についてはポリオレフィン系樹脂のもの(UVセルと呼んでいる)を使用してもらいました。 PMMA の光学セルは有機溶媒全般に弱いのですが、 同じプラスチックでも、 UV セルはアセトンや酢酸エチルなどには使用可です。 ただしクロロホルムやトルエン、あるいはヘキサンといった極性の低い溶媒には使用できません。 図9に示すように、吸光度の測れる波長範囲は、 ガラスセルはおおむね300 nm ぐらいまで(PS 製のセルも同程度)、 PMMA セルでは280 nmぐらい、 UV セルでは240 nm ぐらい、 石英セルでは200 nm でも大丈夫といったところです。 もっぱら測定波長範囲とお値段・耐久性を考えて、 使用する光学セルは選定しています。
ここでの実験では、使用する光学セルの本数が1~2本といったところなので PMMA セルは特に使用せず、 水や酢酸エチル溶液についてはポリオレフィン系樹脂の UVセルを使用してもらい、 クロロホルムを使用するリボフラビンの実験については、 ガラスセルを使用してもらうことにしています。 結構くどく注意しているつもりですが、例年、プラスチックセルにクロロホルム溶液を入れて、 セルを溶かしてしまう人がでてきますが、 まあそれもよい経験かと大目に見ています。
定性的なレベルの実験なので、 溶液濃度の精度は1ケタ程度で十分です。 たとえば吸収・発光の実験に用いるフルオレセイン溶液は用意されている1.0 mmol/L溶液(原液) を取りあえず100倍程度に薄めればよく、 ざっくり半滴程度を2 mL程度にする、 あるいは天秤で0.02 g程度の原液の重さをはかって、炭酸塩緩衝液を加えて 2 g程度にするというのでも可です。 なおフルオレセイン原液はフルオレセインを炭酸塩緩衝液に溶解して調製してあるのですが、 イオン交換水で希釈するとさすがに緩衝作用が効かず、 蛍光が思うように出ないことがあるので注意します。
なおフルオレセインのように目で見て、光の吸収・発光が確認できる場合はよいのですが、 紫外部の吸収を問題にする時には要注意です。 今回の実験ではアントラセンを使用しますが、 洗浄が不十分だと、思わぬところでアントラセンの特徴的なとさか型の吸収と出会うことになります。 特に溶媒が汚染されると何を測っているのか分かりません。 溶媒を採取するスポイトはきちんと区別して、 試料溶液に使うスポイトを使いまわすのは止めましょう。
図 10. リボフラビンの吸収測定に現れたアントラセンの吸収。 芳香族の場合には紫外部に強い吸収のある物質が多く、 セルや容器の洗浄には特に注意する。
課題の最初「2.2. フルオレセインの吸収と発光」では、 フルオレセインを題材に、 光源のスペクトルや、吸収・蛍光スペクトルの挙動に親しんでもらいます。
LED の発光スペクトルを得るのには、 シリカゲルの懸濁液を用いて、 そこからの散乱光を測ってもらいます。 この懸濁液はあまり濃いと、 散乱光がかえって弱くなるので、 向こうを通してみて、 少し濁っているぐらいでよいのです。 また色のついていない懸濁液なら何でもよいので、 シリカゲルではなく、 たとえば塩化カルシウムの溶液に、 炭酸ナトリウムや炭酸水素ナトリウム溶液を加えて作った炭酸カルシウムの懸濁液でもOKです。
![]() |
![]() |
図 11a. 種々の単色の LED の発光スペクトル。 単色の LED からの発光は概ね10~数十nm の巾を持つ。 見た目に同じ色のように見えても、 LED の発光のピーク波長は製造メーカーや用途によっても少しずつ異なる。 | 図 11b. 白色 LED と蛍光灯スタンドのスペクトル。 見た目には区別が付かないが、 蛍光灯スタンドのスペクトルには、多数の水銀の輝線が現れ、 白色 LED からのスペクトルは、青の LED による460 nm 付近のピークと、 それによるなだらかな蛍光から構成されている。 |
フルオレセインの蛍光について、 溶液を希釈した場合の蛍光スペクトルを取ってもらいますが、 思い切って1/200 まで希釈した結果を図 12a に示します。 取りあえず蛍光を見てもらうように、 テキストでは最初かなり濃度の高い設定にしているので、 蛍光スペクトルは再吸収の影響で、短波長側がいささか削れた形になっています。 吸光度が0.1 以下になってくると再吸収の影響はかなり抑えられます。 専門的に蛍光を測定する分には、 高純度の溶媒を用いるのは無論、 通常10-6 mol/L 以下の濃度の、低吸光度の条件で測定を行うのにはこうした事情があります。
図12b にはちょっと先回りして、アントラセンの場合の再吸収の影響を示しました。 アントラセンの場合にはストークスシフト(吸収と蛍光のピーク位置の差)がほとんどないので、 再吸収の影響だ明瞭に出てきます。 なお強度の異なるスペクトルを多数表示する際、 Igor では Graph -> Modify Trace Appearance... で、 それぞれのスペクトルの Offset を操作してもよいのですが、 スペクトルを描画する時にスペクトルごとに新しく軸を設定して付け加えていった方が、 スケールの変更が手軽にできて便利です。
![]() |
![]() |
図 12a. フルオレセイン溶液を、1/200 まで希釈していった時の吸収・蛍光スペクトルの変化 (炭酸塩緩衝液中、440 nmで励起)。 最初の濃度 c はおよそ 20 µM。1/200 の時の吸収は、このスケールではほとんど見えない。 多数のスペクトルを重ねて表示する際、 縦軸を追加していくのが手軽。 | 図 12b. 希釈したアントラセン溶液の吸収・蛍光スペクトル。 40倍に希釈した時の変化 (酢酸エチル中、370 nmで励起)。 励起光の散乱光がかなり入っているが、 希釈した溶液では蛍光スペクトルのピーク位置が、ほぼ吸収スペクトルのピーク位置と重なっていることが分かる。 |
前期の A 実験で、光合成色素の抽出液のカラムクロマトグラフィーを扱いました。 ここではシアノバクテリア(ぼくは「藍藻類」と教わりました)の光合成色素について、 扱うことになります。 「スピルリナパウダー」は、もっぱらカロテンに注目した健康食品として市販されていますが、 手軽に入手できるシアノバクテリアの試料です。 シアノバクテリアというのは、青いバクテリアということなのですが、 「スピルリナパウダー」を一見すると緑の粉で青くは見えません。 ここでは実際にそれが青いこと(”ガリガリブルー”とぼくは呼んでいます)、 蛍光を発することを見てみようということになります。
課題にあるように「スピルリナパウダー」を、 酢酸エチル、pH 7 緩衝液で抽出してもらうと、 図 13 のように黄色い抽出液と、 青い抽出液が得られます。 この酢酸エチル抽出液には、油溶性の色素、 カロテンとクロロフィルが含まれ、 pH 7 の緩衝液による抽出液には、 水溶性の色素であるフィコシアニンが含まれ、 シアノバクテリアらしい青、 アイスキャンデーのガリガリ君® の青 (ガリガリ君の袋には着色料として「スピルリナ青」が記載されています)を示します。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
図 13a. スピルリナ パウダーの懸濁液のろ過。 | 図 13b. 酢酸エチルによる抽出液。 | 図 13c. pH 7 緩衝液による抽出液。 これぞシアノバクテリア。 若干蛍光して、赤みがさしている。 | 図 13d. イオン交換水とpH 7 緩衝液による抽出液。 イオン交換水で抽出すると、色合いが異なってくる。 |
フィコシアニン、クロロフィル a の構造式として、 よく紹介されるものを図 14 に示します。 よく知られているようにクロロフィルはポルフィリン環を持ち、 フィコシアニンではポルフィリン環が開いたフィコビリン構造を持っています。 これは発色団に注目した構造式なのですが、 フィコシアニンを考える上では、ささやかに書かれた X が重要です。 この X がフィコビリン構造よりはるかに巨大でタンパク質なのです。 ですからフィコシアニンを抽出したり、 蛍光を測ったりするうえで溶液の pH の設定が重要になります。 図 13d. のようにイオン交換水で抽出したりすると、 時として色合いが変わってきます。
![]() |
![]() |
![]() |
図 14a. フィコシアニンの構造式。 | 図 14b. クロロフィル a の構造式。 | 図 14c. フィコシアニンの蛍光。 |
この実験では、 パウダーのままでは強い蛍光が見えないのに、 溶液にすると強い蛍光が現れることにも注目しておいてもらえるとよいでしょう。 つまり光合成するような構造に組み込まれていると、 蛍光として放出されるエネルギーが、 どこかに使われているということです。
半導体レーザーで励起した場合の蛍光も見てもらうことにしていますが、 注意して欲しいのは、励起波長よりも短波長側に蛍光が見えることです。 これはフルオレセインなどの蛍光の再吸収でも言えることですが、 入れた光より大きなエネルギーを持った光が放射されることに注目ください。 なお紫外部で励起して観察される蛍光には、 後のリボフラビンの実験で観察される蛍光以外に、 より短波長の蛍光が認められることに注意してもらってよいでしょう。
![]() |
![]() |
図 15a. スピルリナのpH 7 緩衝液の抽出液の蛍光スペクトル。 紫外部の励起光を使用し、 水溶性ビタミン由来と思われる蛍光が明瞭に見えている。 なおここでは赤色 LED を使っているので、 図6ほど明瞭に励起光より短波長側の蛍光が見えない。 | 図 15b. ガリガリ君の蛍光スペクトル。 溶けたガリガリ君のシロップに、黄色のLED を照射して蛍光を測定したもの。 |