有機化合物の融点の測定は、有機化合物の同定や純度の判定等に関わって、 かつては極めて重要な位置を占める実験操作でした。 今日でも医薬品について薬局方には詳細な規定があります。 ここでは混合物の融解挙動について簡単に概観した後、 学生実験で用いる融点測定装置(ヤナコ MP-J3)の操作法を述べることにします。
純粋な結晶に不純物が混入すると、一般に融点が低下します。 これは液体に比べて固体同士は溶解しにくいために起きる現象で、凝固点降下として知られています。
液体では溶け合うが固体では溶け合わない A と B の2成分からなる系の典型的な相図は図1のようになります。 他成分と混合することで、A と B ともに純粋な場合の融点 Tm(A) 、 Tm(B) より融点は下がります(凝固点降下)。 そしてこの2本の融点曲線は共融点 Te で交わり、 共融温度以下では液体は存在せず A と B の固体の混合物となります。
他の成分の存在によって凝固点がどの程度下がるかは、凝固点降下定数で評価されます。 凝固点降下定数は物質によってさまざまですが、有機化合物の場合、 典型的には 10 K kg mol-1 程度です。 たとえば乾燥が不十分で水が 1 %程度入っていると、融点は 5 °C 程度低下することになります。 一般に有機化合物は凝固点降下定数が大きいので、融点は得られた結晶の純度を評価する有用な情報となります。 また以前は標準のサンプルと混合して融点の変化を調べることで、 得られた物質を確認する同定手法としても用いられました(混融試験)。
さてここで図中の実線の矢印に沿って、A に富んだ組成 x* の A と B の固体混合物の温度を上げていったとき、 どのような挙動が現れるか考えてみましょう。 温度を上げ共融温度 Te に達したところで液体が現れ始め、 全体としては湿った状態になり始めます。 さらに温度を上げていくと液相の割合が増えていき、最後に融点曲線と交わるところ(融点Tm)で固体の A がなくなり、均一な液相となります。 このように相図上からは、「融け始めの温度」は組成によらず共融温度に等しく一定のはずですが、 B の量が少ない(A の純度が高い)と共融点で出現する液相の量が少ないのでほとんど検知できません (共融点の組成を xe とすると ‘てこの法則’ により全体の (1 - x*)/(1 - xe) が液相ということになります)。 そこで温度を上げて実際に液相の存在が検知できる程度になった点(図中Tm’)を「融け始めの温度」(湿潤点と呼ぶこともあります)として、 Tm’ - Tm あるいは Tm’ ~ Tm という形で “幅を持った融点” を表記することが一般に行われます(たとえば「融点 173 - 176 °C」あるいは「融点 173 ~ 176 °C」)。 最初の組成が A に近い(A の純度が高い)ほど混合物の融点は純粋な A の融点に近く、 また融け始めの温度 Tm’ と融点 Tm は接近しているはずです。 「融け始めの温度」は、検知できるかどうかという主観的な要素の強いものですが、 特に純粋な A の融点が未知の場合、純度を評価する上での有用な情報となります。
融点測定には種々の手法がありますが、ヤナコ MP-J3 は比較的簡単な構成で、 微量のサンプル(~1 mg)での融点測定を可能にしています。 学生実験では MP-J3 の標準の手法を若干変更して融点測定をおこなってもらいます。
融点測定の前に、試料をできるだけ純粋な状態にするように心がけます。 特に溶媒などで濡れているなどというのは大問題です。 ここには融点測定までの手順を、まとめておきます。
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図 2. 融点測定器ヤナコ MP-J3 の概観。 金属製(おそらくアルミ)加熱板にはキャピラリー法用の溝や、試料を加熱して昇華性物質をえるための昇華皿用の穴が掘ってある。 2枚のカバーグラスに挟み込んだ融点測定試料は、透過光で観察する場合には加熱板の中央部、 透過光の孔の付近におくことになる。 加熱板との接触面積を大きくする立場からは、 図の点線で囲った部分のように、平坦な少し外れた位置に置く方がよい。 |
融点測定器の概観を、図 2 に示します。 昇温速度などまで完全に自動化された装置ではないので、 融点測定を ”体感” できます。 以下には融点測定の手順を、まとめておきましょう。
精確な温度の値を得るには、温度目盛りの補正を行う必要があります。 温度計の較正表が各融点測定器についているので、それを参考にして補正を加えます(ヤナコ MP-J3 の較正表には器差=「示度」-「真の値」が表示されていることに注意。 他のメーカーでは補正差=「真の値」-「示度」が表示されていることがあります)。 ただし補正が小さいこともあって、今回の学生実験では補正を加えることは求めません。
なお標準物質を用いて装置・実験操作の健全性を確認することもできます。 標準物質としては、アセトアニリド(mp 114.3 °C)、 カフェイン(mp 236 °C。昇華が激しいのでキャピラリー管に封じます)などがよく用いられます。