「物理化学の進歩」誌(欧文誌名The Review of Physical Chemistry of Japan)は、 当物理化学研究室が編集し至文堂が発行するという形で1926年に発刊され、 戦後の空白期を挟み1980年の50巻まで、半世紀にわたって刊行されました。 この間、編集・発行元が日本物理化学研究会に変わったものの、その編集は実質的に物理化学研究室が担い、 この間の物理化学研究室の研究成果の多くはこの「物理化学の進歩」誌に発表されてきました。
こうした定期刊行物を、一研究室で維持し続ける影には、 多くの先輩方の献身的な努力がありました。 先輩方の労苦の賜物であるから当然のこととも言えましょうが、 「物理化学の進歩」には学問的に重要な研究、興味ある研究が多く含まれています。 戦後の「物理化学の進歩」に高圧物理化学関係の研究が多数掲載されたことは、 海外でも(あるいは海外で)よく知られています。 それ以外にも、たとえば最近他の分野の方に教えられたことですが、 今日DIET(Desorption Induced by Electronic Transitions)として知られる分野の先駆的研究は、 戦時中の「物理化学の進歩」に発表されています。 また戦前の号に掲載された総説類は、今日的にも十分再読に耐える高い水準のものです。 むしろ今日の狭い問題関心の中に閉じた論説類より、 学問の息吹とでもいいたい種類のものを豊かに孕んでいるように思えます。
こうした「物理化学の進歩」ですが、互いに社交辞令は交わすものの、 自国の学問的到達を批判的に正しく評価しようとする空気がないためか、 現在では顧みようとする人もほとんどなく、 図書館などでも隅の方に埃をかぶっているようです。 また物理化学研究室に残されている「物理化学の進歩」のバックナンバーの損耗も、 座視できないところに来ています。 ぼくの院生時代、物理化学研究室には「物理化学の進歩」誌のバックナンバーが、 書棚や段ボール箱に多数詰め込まれていました。 けれどもそれがしばしば厄介者扱いされ、研究室の模様替えの際などに、その多くが失われていきました。 残ったバックナンバーも、特に戦時中・戦後の一時期の巻については元の紙質が悪かったこともあって、 判読も困難な状態になっているものがあります。 これをこのまま朽ちさせるには余りにも惜しい。
「物理化学の進歩」が50巻の記念号を出して終焉を迎えた時、ぼくは修士の1年で校正のお手伝いをしました。 おそらくぼくが「物理化学の進歩」の編集・発行と直接何らかの形で関わった最後の世代になろうかと思います。 「物理化学の進歩」の発行元であった日本物理化学研究会はすでに十年前に解散しました。 かって「物理化学の進歩」の達成したものをWEB上で公開し、 その価値を多くの人に知らせ、正しい評価を求める作業は、 今も物理化学研究室に籍を置くぼくがなさなければならないことでしょう。
4年ほど前からぼくは暇を見て「物理化学の進歩」の目録の作成、 そしていくつかの興味ある記事のHTML化などを行ってきました。 これからしばらくどれぐらい時間がかかるかわかりませんが、 さらに歩を進めて、記事の全面的な電子化を行おうと考えています。 先日、11月12日の物理化学研究室の同窓会の折、物理化学研究会の解散に当たって労をとられた寺西博先生にお会いして、 電子化の了承を得ました。 この電子化作業は、ぼくにとって、物理化学研究室の過去と正面から向き合うことでもあります。 その中で見えてくるであろう、 「われわれはどこから来たのか?そしてどこへ行くのか?」 という問いかけに対する答えについては、 またこの作業が完結した時点でまた考えてみようと思います。