last modified 2000.7.10.

温度を上げると水酸化ナトリウムの溶解度が増加する

水酸化ナトリウム(苛性ソーダNaOH)は潮解性を示し、水に大きな発熱をともなって溶解します。 このことは中学校ぐらいになれば、だれもが知っています。

この一方、水酸化ナトリウムの溶解度というのを、データブックなどで調べてみると次のようになっています(飽和溶液中の水酸化ナトリウムの重量パーセント。理科年表2000年版):

水酸化ナトリウムの溶解度
温度0 °C20 °C40 °C60 °C
溶解度29.652.256.363.5

実際、水に水酸化ナトリウムを大量に加えた時、溶けずに残っていた水酸化ナトリウムが、温めたら溶けていくのが観察されます。 温度を上げると、水酸化ナトリウムの溶解度は増えるのです。

でもルシャトリエの原理によれば、水酸化ナトリウムは発熱的に溶けるのですから、温めれば溶解度が減るはずです。 これはどうしたことでしょう? ルシャトリエの原理は、物質の溶解のような「物理的」な現象には適用できないのでしょうか??

ルシャトリエの原理は平衡についての法則

この問題のポイントは、ルシャトリエの原理というのが「平衡」にある系についての法則であることです。

ぼくたちが「水酸化ナトリウムを溶かす」という時、そこで考えているのは、試薬として市販されている固体の水酸化ナトリウムを水に溶かすことです。 実はこの市販されている水酸化ナトリウムは無水物で、室温近辺で水酸化ナトリウムの溶液と平衡にある水酸化ナトリウムの含水結晶とは別物なのです。

室温では、無水水酸化ナトリウムは、溶液と共存できません。 室温付近で水酸化ナトリウムの溶液と共存しているのは水酸化ナトリウムの水和物(20 °C付近なら一水和物)なのです。 またさらに、水酸化ナトリウムの水和物と「平衡」で存在しているのは、純粋の水ではなく、水酸化ナトリウムを大量に溶かし込んだ水溶液です。 この水和物を取り出して溶かしたら熱の吸収が起き、温めれば溶解度が増えます。 ルシャトリエの原理は、この平衡にある水溶液と含水結晶に注目すれば成り立っているのです。

つまり、

と分けて考えると、(1)の過程は発熱反応で、(2)の過程は吸熱反応なのです。 そして(1)の発熱量が大きいので、試薬ビンに入っている無水水酸化ナトリウムをそのまま水に溶かすときには、発熱過程に見える。 しかしルシャトリエの原理では、平衡にある(2)の過程に注目するので溶解は吸熱過程。温めると溶解度が増えるというわけです。

水酸化ナトリウムは、実験室ではありふれた物質ですが、その水への溶解挙動は一筋縄ではいきません。 下図に示すのは、水酸化ナトリウムと水の相図です。

NAOHPD1 水酸化ナトリウム-水系の相平衡。Gmelins Handbuch der anorganischer Chemie, Natrium, 8 Auflage, Verlag Chemie, Berlin 1928 による。

水酸化ナトリウムの水和物には、準安定なものも含め8種類ぐらいあります。 この相図で水酸化ナトリウムが39 %あたりで、溶解温度が極大を示します。この組成は固相の水和物の組成NaOH·3.5H2Oに相当しています。 この極大点では、溶液の組成と固体の組成が一致している。 つまりこの状況では、「溶ける」というよりは、「融ける」わけです。 そして、10 °Cあたりでこの極大点より濃厚な飽和溶液については、 水酸化ナトリウムを加えるとかえって固体の水酸化ナトリウムが溶けていくという現象が観察されることになります(あるいは水を加えると、固体が析出する)。

ルシャトリエの原理は平衡系についての法則です。 ここを考えずに、平衡にない最初の状態だけで判断しようとすると、思わぬ落とし穴が待っています。 とりわけふだん見慣れた物質というのは、よく知っているだけに、落とし穴にはまりやすいようです。


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