2000.7. last modified 2022.3.6.

石灰水の濁りは、なぜ消えていくのか

石灰水に息を吹き込むと、白く濁ります。
そこにさらに念入りに息を吹き込み続けると、だんだん濁りが消えていきます。

これは最初、息の中に含まれる二酸化炭素で

Ca(OH)2 + CO2 → CaCO3 + H2O  (1)

という反応が起きて炭酸カルシウムの沈殿が生成して白濁し、さらに二酸化炭素が入ってくると

CaCO3 + CO2 + H2O → Ca(HCO3)2  (2)

という反応で生成した炭酸カルシウムが溶けるためだとして説明されます。 そうして鍾乳洞ができるのは、石灰岩が同様に、地下水に溶け込んだ二酸化炭素で溶かされるためだという話で、大いに納得というわけです。

説明はこれでよいのですが、ルシャトリエの原理からは、腑におちないものが残ります。

炭酸カルシウムが沈殿するのは、溶存しているカルシウムイオン Ca2+ と炭酸イオン CO32- の濃度の積が、溶解度積 Ksp よりも大きくなるからです:

[Ca2+][CO32-] > Ksp = 3.6×10-9 mol2 dm-6  (3)

つまり炭酸カルシウムが二酸化炭素を加えるにしたがって溶けるというのは、二酸化炭素を加えていくと炭酸イオンがあるところを境に減少するということです。 でも炭酸の電離平衡を考えると、ルシャトリエの原理からは、二酸化炭素の増加は、平衡を炭酸イオンの増加の方向へずらすはずです。なぜ炭酸イオンが減るのでしょう?

「二酸化炭素を加えるのは、炭酸という酸を加えることだ。酸を加えれば炭酸カルシウムは溶けるよね」

という話で納得はできる気がするんですが、ルシャトリエの原理は、いったい成り立ってるんでしょうか? このあたりの事情を、少し考えてみることにします。

問題の所在

話を分かりやすくするために、反応式を整理しておきましょう。 最初の炭酸カルシウムの沈殿ができるという式は、カルシウムイオンを除いて、H+ + OH- → H2O という中和反応を考えると

H2CO3 ⇌ 2H+ + CO32-  (4)

という炭酸の電離式です。先にも述べたように、この式にルシャトリエの原理を適用すると、二酸化炭素の増加は、平衡を炭酸イオンの増加の方向へずらすはずです。 では (2) 式はどうでしょう?(2) 式は同様に整理すると次のようになります。

H2CO3 + CO32- ⇌ 2HCO3-  (5)

炭酸と炭酸イオンの炭酸水素イオンへの“均一化”反応です。 この式に基づけば、ルシャトリエの原理によると、二酸化炭素の増加とともに平衡が炭酸水素イオンの増加、つまり炭酸イオンの減少の方向へ移動します。

ルシャトリエの原理は、炭酸について (4)式の電離を考えるのか、それとも(5)式の炭酸水素イオンへの均一化反応を考えるのかで、炭酸イオンの増減について異なる結果を与えます。
ルシャトリエの原理は便利です。どんな反応式を持ってくるかで、お好みの結果をよりどりみどり、出してくれるのですから・・・・

「原理」がこんなことでは困りますね。
どこにこうした曖昧さが入り込む余地があったのでしょう?

「平衡が移動する」ということ、そして反応進行度の効用

それは「平衡が移動」するという言葉の内実を、どうつかまえるかにかかっているといってよいと思います。 ただ一種類の化学反応だけ考えておればよい時は、「平衡が移動」するということを、生成物(反応物)各々の量が増えるか減るか、 いずれにしろ同じ方向に変化するということと同じだと考えてよかったのです。 けれども複数の化学反応を取り扱うようになると、事態は単純でなくなります。 複数の生成物(反応物)の量が、増加、減少、必ずしも同じ方向に変化しなくなるからです。

今回の場合、炭酸の電離 (4) 式に注目すると、炭酸イオン CO32- の濃度は、炭酸濃度に対し、増加したり減少したりして単調に挙動しません。 けれども水素イオン濃度に注目すれば、炭酸濃度の増加とともに単調に増加します。 炭酸の増加で炭酸イオンが減ったからといって、水素イオンの増加も正しく見てやらなければ、ルシャトリエの原理の当否、「平衡の移動」を議論することはできません。

反応進行度という概念は、こうした複合反応を考える時、便利な考えです。 同時にいくつも反応が起きている時に、その内の一つの反応だけが起きているかのように考えて、反応による物質量の変化を考えようというのです。 かりに次のような反応を考えましょう:

A + B → C  (6)

C + B → X  (7)

この2つの反応で、最初の (6) 式の反応の進行度を z6、(7) 式の進行度を z7 とすると、A、B、C、X おのおのの量は、次のような変化をこうむるわけです:

A: -z6、 B: -z6 - z7、 C: z6 - z7、 X: z7

こうした記述をすると、個々の分子種についての量論的な関係が自動的に得られて、見通しのよい議論が可能になります(たとえば A と C と X のモル数の和は反応中一定といった関係を、ただちにえることができる)。同時に、個々の反応がどのようにふるまうかも、ここから導くことができ、ルシャトリエの原理は、この反応進行度については、見通しのよい結果を与えてくれます。この反応進行度を使うと、先の炭酸の炭酸イオンへの電離((4) 式)と、炭酸水素イオンへの均一化((5) 式)は次のように議論できます。

炭酸イオン CO32- の変化量は、二酸化炭素の添加にともなう (4)式、(5)式の反応進行度をそれぞれ、z4、z5 として、z4 - z5 になります。ルシャトリエの原理は、この z4、z5 が正になることを保障してくれます。けれども z4 と z5 でどちらが大きいか、z4 - z5 の符号が正になるか負になるかは、ルシャトリエの原理だけでは、単純には決めることができないのです。


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