分子間の相互作用が分かったからといって、液体の挙動がすぐに理解できるわけではありません。液体の中では多数の分子がさまざまな速度ででたらめな方向に運動しています。ここでは分子の速度の分布が温度で決まることを元に、液体のいくつかの性質を考えます。
多くの物体が互いに衝突を繰り返していると、その速度の分布は時間とともに変化しない平衡分布に近づいていきます 。極低温のヘリウムや水素の液体を除くと*、通常の液体では分子の速度 v の分布はマクスウェル分布(マクスウェル-ボルツマン分布と呼ぶこともあります)で与えられます 。
ここで m は分子の質量、T は熱力学温度(絶対温度)、kB はボルツマン定数といわれるもので 1.38×10-23 J K-1 (これをアボガドロ数倍したものが気体定数 R = 8.31 J K-1)程度の値を持ちます。 また C は速度に依存しない定数で、確率が 1 になるように決めます**。
*こうしたいわゆる量子論的な効果は、分子に働く力と温度の比の2乗に比例し、分子の質量に反比例すると考えてよく、通常の液体では運動エネルギーに対する量子論的な効果は1万分の1程度のオーダーとみることができます。
**ここでは速度のある方向成分についての表式を与えていますが、3次元では3方向それぞれの速度成分についての速度分布の積で表現されます。
マクスウェル分布から分子の並進運動の平均エネルギーが分子の種類、質量によらず (3/2)kBT になることがわかります。 また平均速度は(8kBT/πm)1/2で与えられ、室温付近の分子量 100 程度の分子の平均速度は 250 m/s 程度になります。
マクスウェル分布の重要な特徴は、速度分布が温度のみの関数で、流体の密度に依存しないことです。 100 °C、1気圧で共存状態にある水と水蒸気中の水分子の平均速度は同じです。 気液の共存状態で「熱運動が激しくなって蒸発する」という説明は、「熱運動」を分子の並進運動と見なす限りでは誤った説明ですし、「気体が液体に溶解する時、運動エネルギーが減少するので発熱する」という説明も正しくありません。
気体や液体の圧力は、容器の壁にぶつかる分子の運動の変化の度合いから知ることができます。 分子の速度分布が温度で決まっているので、器壁(以下では堅い剛体の壁を考えます)での分子の密度を正しく評価できれば、圧力もわかります。 気体では分子間の相互作用の効果が小さいので、器壁での分子の密度は容器内の平均密度に等しく、いわゆる理想気体の状態方程式が成り立ちます:
ここで P は圧力、V は体積、n は物質量、R は気体定数、T は温度、ρ は分子数密度です。 液体では器壁付近の分子数密度は分子間斥力によって増加、引力的相互作用によって減少し、常圧下の液体では、両者の効果はほぼつりあっています。 分子間斥力による効果は分子のパッキングに由来するもので温度にあまり依存しませんが、分子間引力の効果は運動エネルギーとの兼ね合いで決まるので単純ではありません。 こうした効果を考慮したもっとも単純な近似では、気体-液体一般について次のような状態方程式が得られます:
ここで f(ρ)は密度のみの関数で、a は引力の効果を表す定数です。 これを(一般化した)ファンデルワールスの状態方程式といいます。 この状態方程式から、密度が同じなら、温度と圧力の間には比例関係が成立することになりますが、実際、多くの液体で高い精度で比例関係が成立することが知られています。
常温常圧での多くの分子性液体の圧縮率 (-1/V)∂V/∂P はおよそ 10-9 Pa-1、大気圧下の気体の万分の1のオーダーになることが知られています。 一方多くの液体の密度は温度を上げると小さくなり、膨張率 (1/V)∂V/∂T は分子性液体ではおよそ 10-3 K-1、同じ温度の気体の膨張率の数分の1オーダーになります。 溶融塩や金属液体ではこれより約1ケタ小さくなります。
水やテルルのように固液の境界近傍で負の膨張率を示すものもあり*、この挙動はファンデルワールスの状態方程式では説明できません。 水は 4 °C で密度の極大を示し、表面が凍結した池などでは底の温度がほぼ 4 °C になっています。 なお他の物質を溶かし込んだ水溶液系では、このような密度の極大現象は失われていき、海水は密度の極大を示さず、海の表面が凍結するという現象はたいていの場合、陸氷が関与しています。
*温度を上げると膨張するのは一見当たり前のようです。 けれどもフックの法則に従うバネでつながれた結晶の膨張率は 0 であり、分子論的に膨張率の正負を議論することはさほどたやすいことではありません。
気体-液体の状態方程式だけからでは、固体の状態方程式との比較は難しいのですが、常圧下の液体の密度は固体とほぼ同程度と見ることができます。 たいていの場合固体より液体の密度の方が低いのですが*、水やガリウムなどでは融解にともない体積の減少が起きます 。
*固体のように分子が整然と配置した状態のほうが、より密度が高くなるのは一見当然のようですが、まじめに考えるとたいへん難しい問題です。 剛体球(パチンコ玉)の場合ですら、たとえば「立方最密充填構造」「六方最密充填構造」が本当に「最密」なのかさえ、17世紀ごろすでに最密であろうと推測はされていたのですが(「ケプラーの推測」)、その証明は 400年近くたって 1997 年にコンピュータを駆使してようやくなされたところです。
通常私たちのの目に触れる液体中では、分子同士は非常に込み合った状態で存在しています。 液体中での分子間の平均距離はほぼ分子の斥力コアの大きさとして知られるもの程度になります。 たとえば水の場合、分子の平均距離は ρ-1/3 = 0.31 nm 程度で酸素のファンデルワールス半径のだいたい2倍です。 ですから分子間の衝突も頻繁に起こり、衝突までに進む典型的な距離を分子間距離の十分の一程度 0.01 nm、分子の並進速度を 100 m s-1 とすると、0.1 ps に1回の割合で衝突が起きていることになります。 これは分子の振動スペクトルなどの実験から評価される分子衝突の頻度からも裏づけられています。
このように頻繁に分子衝突が起きるのは、液体中で分子が密に集合していることもさることながら、分子がわれわれ人間の数十億分の1という微視的なサイズを持つ一方で、 人間の百倍もの速度で運動していることによります。 液体中の分子の速度は周りの分子と盛んに衝突する中で急速に平均化されます。 けれども、だからといってコップの中の水の温度が瞬時に周りの温度と同じになるわけではありません。この問題については、また後で考えることにします。