2001.10.1.

B.2成分混合系での気体と液体

気体と液体の区別が無意味な系の存在

Aで「気体」の「液体」の区別が、両者の共存状態で軽いほうと重い方というものでしかないこと、そしてある温度・圧力の流体をそのいずれかに帰属させるのは、共存状態に移行させる経路・操作に依存するということ、そして原理的には「気体」の「液体」の区別が無意味であることを見ました。

このような事情は多成分系では、もっと劇的で多彩な形で現れてきます。 1成分系では少なくとも2相共存状態では、気体と液体を明確に弁別できました。 しかし多成分系では、たとえ2相共存状態であっても、もはや「気体」「液体」といった概念が、その有効性を失ってしまうような場合すらあるのです。 その多彩な挙動の中から、ここでは特に圧力反転(barotropic inversion 正式な訳語は何でしょうか?)と逆行凝縮(retrograde condensation)を取り上げましょう。

多成分系での流体の相平衡

「気体」「液体」という概念を多成分系に拡張していくと、たとえば水に油が浮いている時、油を「気体」水を「液体」と呼んでも支障のないことに気づきます。

HEXMETHANOL

水と油は互いにあまり溶け合いませんが、たとえば、メタノールとヘキサンを混ぜて冷やすと、白濁し、長く置くと2相に分離します。 ここで、下層の溶液を「液体」(右図の青の部分)、上層の溶液を「気体」(右図の黄緑の部分。ボルツマンにならって「蒸気」でもよい)と呼んでみたらどうでしょう? たとえば、あるメタノールとヘキサンの溶液にメタノールを加えていったら、白濁して下層に新しい相が生じたとしましょう。 すると、そもそもの溶液は「気体」だったわけです。先の定義を踏襲するならば、これでもいいのです。

ところで、メタノールとヘキサンの混合溶液を暖めて40℃ぐらいにすれば、すべての組成で互いに溶解して透明になります(図中水色の領域)。 この時には、下層の「液体」、上層の「気体」の区別がなくなってしまいます。それでは、この状態はなんでしょう? すでにこの状態では、2相に分離させる操作がない。 つまり、「液体」「気体」の区別が、つかなくなっているわけですから、そもそも、「液体」「気体」と呼ぶこと自身が、無意味になっているのです。 この事情は、先に一成分系の「気体」「液体」で考えたのと同じことです。 (なおここでいう2相分離は、その上の蒸気を考えれば3相分離となり、さらに複雑な挙動をもたらすのですが、ここでは触れません)


このような考えは、あまりに「やりすぎ」と思われるかもしれません。 何しろ、純ヘキサンの液体を「気体」と呼ぶことに相当しているわけですから。 しかし目くるめくような多成分系の相平衡を考える時には、こうした醒めた視点が不可欠だと思います。

圧力反転 barotropic inversion

あまり物理化学の教科書に登場しない話題ですが、多成分系流体では「圧力反転」(barotropic inversion)という現象が知られています。これは気液の共存状態で圧力をかけていくと気相の方が液相より密度が高くなる(=気液の指定が逆転する)という現象です。

BAROINV

この現象は、歴史的には水素とヘリウムの混合物について最初に見いだされました[1] 。低温20 K(-253℃)で常圧では、水素とヘリウムの混合物はいわば液体水素の上に気体のヘリウムが浮かんでいる状態にあります。これを圧縮していくと、30気圧ぐらいで気相の方が重くなって、液相の下に沈みこんでいくのです。 「軽い方が気体、重い方が液体」という定義に従えば、30気圧ぐらいを境に、気液が入れ替わることになります。 ちょうど逆転の起きる圧力では、2相の密度が等しくなるわけですが、組成が違うので同一の相というわけではありません。 このような現象は、その後広範な物質について見出されています(身近なところでは水と二酸化炭素。温度が低いと包摂化合物ができたりするが、50℃だと800気圧ぐらいで反転が起きる [2] )。

密度の大小で、気液の判別をするという立場からは、液相を追っていくと液相と信じていた相が、突然気相に転換してしまう。 一成分系では、液相を追っていくと気相との境目が判然としない点、臨界点に達するわけですが、多成分系ではとんでもないどんでん返しが待っていることがあるわけです。 こうした事が起きてなお、「気体」「液体」という枠組みに固執することは、ほとんど意味がないでしょう。


逆行凝縮 retrograde condensation

「重い相が液体、軽い相が気体」という定義に替えて、「圧縮して(あるいは冷却して)出てくる相が液体、膨張させて(あるいは加熱して)出てくる相が気体」という定義が考えられるかもしれません。いわば「気体」(=「低密度相」)=「低圧相」、「液体」(=「高密度相」)=「高圧相」、という定義です。 この後者の定義の方が、物質の存在状態により即した定義のように見えますし、一成分系であれば、両者は同じことです。

しかし多成分系では事情は単純ではありません。 圧縮していった時、最初液相が出現し、さらに圧縮した時に、2相共存を保ったまま出現した液相が消失するといった現象が起きるのです。この現象は逆行凝縮retrograde condensationと呼ばれ、これも古くから知られています。 下図に示すのは、それを最初に報じた報文 から、Rowlinsonらが作成した 液相の比率の変化の図です。7.45 MPa で液相が出現し、8.50 MPa でそれが消失しています。 先の定義に即して考えると、「圧縮して出てくる相が液体」であるわけですが、同一の相が気体であり、同時に液体であるということになってしまいます。

KUENEN
二酸化炭素-塩化メチル混合物の105℃での圧縮結果。 全体の中で「液相」(=高密度相)の占める割合の変化を示す。 Kuenen の実験結果 [3] に基づいて、Rowlinsonらが作成した図 [4]
RETROGRADE

この事情をことばで説明するのはやっかいなので、右のPT図を見ていただきましょう。 1成分系ならば、蒸気圧曲線になるのですが、2成分系では事情がちがってきます。 2成分系では、共存する2相の組成が異なる結果、ある組成の流体に注目すると、灰色の部分は安定には実現できないことになります。 比較的温度・圧力が低い領域では、「露点(=液体が出現する点)と沸点(=気体が出現する点)が異なる」ということばで、このことが示されます。 図の温度 T1 で、だんだん圧力を上げていくと、露点曲線(青線)と交わるところで液体が出現して2相共存状態(気液、それぞれの組成は元の組成とは異なる)になります。 これをさらに圧縮すると液体の比率が大きくなり、沸点曲線(赤線)と交わるところで、気相は泡となって消えてしまうわけです。

ところでこの露点と沸点の曲線は、この組成の流体の臨界点(図中 CP)で一つに交わるはずです。この臨界点が、図の場所にあれば、かりに温度 T2 で圧力を上げていった時、2回露点曲線を横切ります。2回露点曲線を横切るというのは一見奇妙ですが、圧力を上げ下げした時に、液体(=高密度相)の出現・消失が起きるということです。 これが先の逆行凝縮現象に対応するわけです。 (なお組成を変えると、臨界点の温度・圧力も変化していきます。したがって2成分系では、一成分系の臨界「点」が臨界「線」となります)。

逆行凝縮現象が起きる状況では、「液体」についての最初の2つの定義(液体を「高密度相」と見るか「高圧相」と見るか)、はもはや等価ではありません。 あるいは、「気体」「液体」という言葉にこだわっていては事態の本質を見失いかねないのです。


参考文献

  1. H. Kamerlingh Onnes and W. H. Keesom, Comm. phys. Lab. Univ. Leiden, No. 96a, 96b, 96c (1906);

  2. K. Toedheide and E.U. Franck, Z. Phys. Chem. NF 37, 387 (1963).

  3. J.P. Kuenen, Comm. phys. Lab. Univ. Leiden, No. 4 (1892). https://www.lorentz.leidenuniv.nl/history/KOL_archive/Communications/01_12/4b_Kuenen.pdf

  4. J. S. Rowlinson and F. L. Swinton, "Liquids and liquid mixtures", 3rd ed. Butterworths, London 1982.  ちなみにこの本は、流体の熱力学的な諸性質・相挙動について論述したきわめて優れた本ですが、「超臨界流体」が盛んに持ち上げられる中、ほとんど言及されることがなく絶版のままなのは、今日の学問状況を物語ってくれているように思います。

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