現在手に入る最も蒸気圧の少ないグリーズはApiezon Lということになっている。参考にグリーズの蒸気圧を表にすると下の通りである。
| グリーズ | 蒸気圧(mmHg) | |||
| 20 ° | 90 ° | 150 ° | 200 ° | |
| Ramsay-Fett | 10-4~10-5 | |||
| Apiezon-Fett M,新 | 10-5 | |||
| Apiezon-Fett M,(90 °Cで2時間排気) | 10-8~10-9 | 6×10-6 | ~10-3 | |
| Apiezon-Fett L,新 | 5×10-6 | |||
| Apiezon-Fett L,( 90 °Cで長く排気) | ~10-10 | 10-7 | 2×10-6 | ~10-3 |
| Apiezon-Fett N | 測定不能 | |||
この Apiezon L の作り方は不明であるが,Ramsay Fett に似たものを作ったことがあるのでちょっと書いて見よう。
材料は Chesbrough の医薬用のワセリンとペイルクレープという生ゴムを使用する。 混合の割合はワセリン 200 ccにゴム 15 gr で、これは6、7月の季候に適当な物ができる。 寒い時にはもう少しゴムを減らせばよろしい。上の二品をガラスの容器に入れて、沸騰水中で暖めると直ぐに軟らかくなる。 これに相当しっかりした攪拌装置をとりつけて攪拌して行くと、次第にゴムが溶けるに従って急に粘度が増して容器をしっかり押えておかぬと一緒について回る程になる。 4~5時間もすると又今度は極めて徐々に粘度が減少して来る。この攪拌は出来るだけ気長に毎日8時間として,3~5日位も続けると粘度も大体一定してくる。
この混合が充分終ったら、今度はこれを大きな丸底フラスコに入れて、真空装置にとりつけ、 130 ° ~ 100 °C 位の温度で排気する。この排気は長ければ長い程よいのであらうが1週間も続けたら相当よからうと思われる。 この時何が出てくるのかわからないが、氷と塩の寒剤で凝結するものも少しあるし、新しい白い五酸化燐を真赤にする様な種類のガスも出てくる。 このP205を何度もとりかへて赤く染める物が出なくなった所を排気の最小限度としてもよいかも知れない。
この時真空中でグリーズを攪拌できれば一層能率はよくなるはずである。 また温度も上げた方が早くガスが出るわけであるが、油槽など使ってうっかり 150 °C を越す様な事があるとでき上がったグリーズがただのワセリンのようにサラサラした粘り気のないものになってしまって、これではグリーズに使えない。 ゴム質が破壊されてしまうように見受けられる。 それよりはむしろ沸騰水の温度で長時間排気した方がよいだらう。
こうしてできたグリーズといえども、上の表のように、相当の蒸気圧は避けられないのである{す}から、その微量の蒸気が親察しようとする現象を左右する程の影響を与えるような場合には用いられないわけである。実際スパツタリングで鍍金(メッキ)を行なう時など液体空気のトラップを使ってもグリーズの蒸気が何か悪戯(いたずら)をやるらしいという事が文献に出ている(物理化学の進歩,第8巻抄録33頁)。 これではグリーズを便う実験はどれもこれも信用できないかといえば必ずしもそうではない。 問題としている現象を左右する外の因子の影響の方がグリーズの影響に比してはるかに大きいと推定される時にはこの悪戯者の存在も大目に見てもらう事ができるわけである。 もちろん歓迎される可き輩ではないから、捕らえられ次第つまみ出されるべき代物である。 これは一般に実験に用いられる試料に必ず混入する不純物に対しても同じ事がいわれるわけである。どんな時にもこの種の不逞人物の潜在している事は忘れてはならないが、そのためにのみ神経を尖らして終に絶望の淵を彷徨していても始まらない。しかし何とかして不純物は取除きたいものである。
Apiezon L は室温が 30 °C を越して来ると軟かすぎて危険である。したがって7~8月には不適当である。
かって油ポンプ用の油にペールクレープを溶かして見た事がある。でき上った色は丁度Apiezonグリーズの様な色をしているが、100 °Cの時と室温との粘度の差が小さいので室温でちょうどよい程度のものをつくらうとすると猛烈に粘っこい物をつくらねばならず、とてもかき回すわけにゆかない。 またこうしてできたものを括栓につけて見るとガラスにしっかりくっつかずに減圧すると共にずるずるとはみ出してしまう。 凝集力の方が附着力よりはるかに大きいようである。また油の香も相常強く揮発性のものがかなり多いようであったのでこれは実用にならなかった。しかし、粘度が温度によって余り変わらぬ性質だけは望ましいところで、これだけは何とか活かして使いたいものだと思う。
塩素を用いる実験において第一に遭遇する問題はグリーズであろう。普通に用いられるグリーズはすべて塩素を吸牧して変質するから特に耐塩素グリーズを作らねばならぬ。 しかしながらこれが最もよいものであるとして公言し得るものは今の所ないのではないかと思われる。
普通のグリーズ(脱水ラノリンと蜜蝋との混合物)に塩素を通じて飽和させたものも用いる事ができるが、之は蒸気圧が大であるから精密な実験には用いかねる。
ステアリン30 grと パラフィン20 grの混合物を150 °~180 °Cで4時間塩素を通ずる。しかる後これを真空に引く事1日にして得られるグリーズは、常温においては大なる蒸気圧を示さないが約40 °C位で軟らかくなるから非常に取扱い難い。しかしステアリンとパラフィンとの割合を適当に調節すればよいかもわからぬ。またこれは通じる塩素の量が多くなれば軟らかくなる傾向がある。
また五酸化燐に適当に湿気を与えてグリーズ状となしこれを用いるのも一法であろう。ただしこの場合には外界の湿気を防ぐために水銀で遮断する必要がある。
要するに耐塩素グリーズには決定的によいというものは見当たらないようである。