なつかしい学生服を着るのもこの1年、3回生となって物理化学に来、先生から論文題目が与えられる。 テーマは貰ったが、さてどうしていゝのやら分らない。文献を調べたり教室の先輩に尋ねたりしてやっと、どうやら方針も定まって来る。 装置を組み立てなくてはならない。ガラス細工だ、電気炉だ、恒温槽だ、みんな自分でつくらねばならない。どんな材料を使うか。 こうなって来ると、この書物が論文学生諸君の相談対手として登場する。いわばこの書物は物理化学的実験に必要なテクニックスと常識を提供するのである。 ただしこの書物に書かれたことは、一つの型に過ぎない。 その型を諸君の実験にいかに生かすかは、諸君の頭であり腕なのである。
これらの常識的経験も実につまらぬと後で思うことが、最初はなかなか分からない。 例えばこの教室でガス反応をやり出した時活栓につけるグリーズが分らず、ビンヅケ油を買ったという昔物語りがある位である。 したがってこの書物の内容はこの研究室の何代かにわたる蓄積された経験なのである。 もちろんこの書物が諸君に必要なすべてを語る程完全ではない。
論文題目を前にして諸君は、その装置を考える。もちろん既にその間題に対する方針が定まってからである。 その方針に従う装置に必要な材料の蒐集、これを可及的速かにすることが、第一である。 次に組立てにかかり、それが完成するや、直ちに予備実験をやり、自分の装置になれ改良すべきは改良する。 この予備実験が早ければ早い程、実験の見通しがつき、本実験に入る事が容易である。
この時この書物の必要な部分をその度毎に読むこと。最初に通読するよりも、そういう風にこの書物を用いる方がいゝようである。 何故なら、この書物は一人の手によって書かれたものでなく、この教室の幾人かが分担してその関係部分を書いたからである。
諸所に拳げられた文献は更に諸君の知識を豊富にするに違いない。それらの文献は大抵研究員が自分の机上に置いている。
要するに実験は、一定方針に従う周到な準備と計画の下に行われなければならない。1年を大体次の如く行えばよいように思われる。 即ち4月~5月まで、装置組立完了。6月~7月まで予備実験と改良。9月~1月まで本実験。2月中にそれまでの実験結果の整理及び論文を書き上げる。 3月初旬の発表会には、そうすれば素晴ら[し]い結果を報告することが出来るであらう。